名古屋市の上水道の取水口がある、犬山を訪れる。
水道敷設計画が始まった当初、名古屋市は○○池からの取水を計画していた。これは、イギリス人技師の○○によるものだった。しかし、今後の人口増に伴う給水量の増加を考慮すると、○○池からの取水では近い将来、限界に達することが明白で、その計画は中止となり、その後日本人技師の○○による案で木曽川からの取水が提案された。
流量豊かな木曽川からの取水は、結果としてその後の名古屋市市域の拡大をにおいて、正しい判断だったことは明らかである。
現在では犬山取水口以外にも木曽川に設置したダム等からも取水をしているが、いずれにせよ名古屋の飲み水は木曽川という存在に大きく依存している。
ところで、名古屋地区は庄内川の流域である。木曽川からすると、名古屋は流域ではなく、少し離れたところから水を取ってきている。また行政レベルでも、犬山市からその他いくつかの市域を通過して、水を名古屋市まで引いていることになる。
江戸時代にあった水道網が名古屋城の堀の水を引いていたことと比べ、かなり「遠い水」となっていったことがわかる。産業の発達やそれに伴う都市化の進展で、人口が集中したことにより、肉や野菜などの農畜産物同様、飲み水も大量生産・大量消費の時代へと突入していかざるを得なかったのである。