動物を食べるということ・・・ 『Eating Animals -アメリカ工場式畜産のジレンマ』 

2016年の年末から2017年の年明けにかけて、アメリカ人作家、ジョナサン・サフラン・フォアのノンフィクション『Eating Animals ーアメリカ工場式畜産のジレンマー』を読みました。2009年に書かれた本書は、息子の誕生を機に、愛する我が子に何を食べさせるべきか、とりわけ、人間と同じ「動物」を食べるということはどういうことか?という素朴な疑問をいだいた著者が、「ファクトリーファーミング(工場式畜産)」と呼ばれる、食肉の大量生産システムの中での家畜の生涯や屠殺のプロセスを様々な資料や研究、そして著者みずからによるファームやと畜場への潜入取材で明らかにしています。

3年に及ぶリサーチを経て、肉を食べない、ベジタリアンとなることを選択した著者。豚や鶏、牛などがほぼ一生の間、狭いスペースに閉じ込められ、暴力的に扱われ、自然の寿命よりもはるかに短い年月で、しばしば苦しみながら死んでいく現状が、細部にわたり描写されている本書を読むと、著者の選択について誰も真っ向から否定できないのではと思います。

その一方で、スーパーなどで手頃な価格で肉や卵、乳製品が手に入る日常生活では、それらが何千、何万という動物たちの生命の犠牲の上に成り立っている、ということをほとんど感じることもなく過ごしてしまいます。

また、本書によると現在、世界で行われている一般的な畜産が、地球温暖化や当の人間の健康に大きな影響を与えているというのも事実だそうです。私たちが、肉を食べ続けることで、家畜の糞などが土壌を汚染し、空気中ににも有毒なガスを発生させているだけでなく、遺伝子操作により免疫力が弱くなった家畜たちを病気にさせないために、餌には日常的に抗生物質を混ぜているため、そうした餌を食べて育った肉を食べる人間にも、少なからず健康上の影響が出始めている、という研究結果も紹介されています。

私がこの本を手に取ったのは、本書の中で、著者が、以前読んだ『雑食動物のジレンマ』の著者マイケル・ポーランについての批判を述べているということを、たまたま知ったことがきっかけでした。『雑食動物のジレンマ』を読んだのはもう5年以上も前で、記憶が曖昧ですが、サフラン・フォアはポーランが同書の中で、「わたしのなかに、ヴェジタリアンが道徳的に明快な態度をとっていることをうらやむ部分があると言わざるをえない・・・。だが、同時にあわれんでいる部分もある。自分に罪はないとする人間の夢はこの程度のものかとーヴェジタリアンはたいてい現実を否定することで自分たちが正しいと思っているが、それは彼らの傲慢さでもあるのだ」と記していることに触れ、ある部分では正しいとしながらも、食肉産業の現状をかんがみる限り、肉食という問題に限って言えば、現実を否定しているのは、ヴェジタリアンではなく、肉を食べ続けている人たちではないのか、との批判を述べています。

それほど、食肉産業における家畜たちの生は、明らかに侵され、徹底的に搾取されている、と著者は言いたいのでしょう。こうした著者の主張が、感情的でなく、事実や公式な資料に基づいて極めて論理的に述べられていることが、現状の深刻さを感じさせます。

もちろん、これはアメリカの話で、日本の畜産業界はもっとましなのでは?という意見もあるかもしれませんが、それでも、食べ物が豊富な今の時代に、肉以外から必要な栄養がとれるのであれば(家畜に与えている穀物を人間が直接摂取すれば、世界人口の食糧をまかなえる、など・・・)、無駄に動物たちにみじめな生活を強いた上に殺す必要があるのか?ということは私たち全員が考えるに値する問題です。

本を読みながら、去年、長野県の根羽村の方に教えていただいた、岩手にある中洞(なかほら)牧場のことを思い出しました。中洞牧場では、牛を1年中山地に放牧する「山地(やまち)酪農」を実践していて、なるべく自然に近い状態で牛を飼っているのだそうです。通常であれば、人工授精をさせて牛を孕ませ、産後はすぐに子牛を母牛から引き離し、牛乳を絞るというのが一般的な搾乳だそうですが、中洞牧場では、自然交配により子牛が生まれ、子牛は母牛のお乳を好きなだけ飲むことができます。そして、子牛が飲みきれなかった牛乳を人間が絞って、酪農製品を作っています。もちろん、その分1頭の牛から取れる牛乳の量はとても少なくなり、価格も高くなりますが、牛から搾取するのではなく、「分けてもらう」という考えに基づけば、ごくあたりまえのことです。

サフラン・フォアは「1人の人が肉食をやめるという決断をし、行動することで、世の中に与える影響は計り知れない」と書いています。この本についてのインタビューでも、「今でも肉の匂いなどを嗅ぐと、食べたいなあ、と思うことがある(I miss them.)。でも、それがどうしたというのか?肉を食べることを止め、肉の味を懐かしむほうが、肉を食べ続けることよりもずっと気分がいい」、というようなことを言っています。

「食」は文化としての側面もあるので、急にこれまでの食生活を変えることは難しいかもしれません。まずは、自分たちの食べ物が、どのような原料からどのように生産されているか知ることが第一歩です。そして、自分はどこまでなら許容できるのか?ということについて、一人一人が考えることが大切なのでは、と思いまいた。