観察、そしてケア・・・ジェニー・オデル『何もしない』


アメリカのアーティスト、ジェニー・オデルによる著書『何もしない』。

この本、原題では「How to do nothing」というタイトルで、直訳すると、“どうやって何もしないか” “何もしない方法” といったところで、日本語訳の「何もしない」とはまたちょっと意味あいが違うのだけど、さらに本文を読むと、原題の意味そのままの本でもないことがわかる。

文字通り「何もしない」のではなく、いわゆる経済活動的な視点からは、沈黙して何もアクションを起こしていない、無駄で無益な時間を過ごしているように見えても、みずからの周りの自然やものごとにしっかりと目や耳をかたむけ、対話し、深く思考するというプロセスこそ、発話したり表現したりするために必要不可欠な時間なのだと説くオデル。

「何もしない」とは、ひとつのフレームワーク(注意経済)から離れることであり、それは考える時間を持つためでなく、別のフレームワークでほかの活動に従事するということなのだ。



私たちが生きる現代は、SNSをはじめとして次々と情報が流れ込み、消費者である私たちの注意をひきつけ、購買や消費へと誘導する「注意経済(Attension Economy)」が幅をきかせている。

テレビやチラシなどの従来からあるメディアも、ここ十数年で急速に発達したSNSも。どれも基本的には同じ構造で、私たちがゆっくり見て思考するという行為を奪っているのだと。

オデルは本書の中で、現代社会で生きていくには、こうしたものから完全に切り離されて、仙人や世捨て人のように生きていくのは私たちの多くにとっては現実的ではないとした上で、注意経済の存在や意図を認識して、自分の意思でそれと距離をとることは可能で、それが必要なのだと訴えています。

今日、私たちは生物学的な砂漠化だけでなく、文化の砂漠化にも脅かされており、生態学の基本から学ぶべきことがたくさんある。注意経済にがんじがらめにされている共同体は工場式の農場のようで、そこでの私たちの仕事は隣り合ってたがいに触れることなしに、ただまっすぐ、高く成長して、こつこつ生産し続けることだ。そこでは、たがいに手を伸ばしあって、水平に広がる注意と支援のネットワークをつくる時間などない--それどころか、非「生産的な」生命体が姿を消していることにも気づく余裕もない。いっぽう、相互依存の複雑な関係性が存在する多様性のある共同体は、豊かなだけでなく、外部から乗っ取られにくいということが歴史と生態学の膨大な事例からわかっている。


そして、自分の周囲に注意を向けるということは、空間への配慮(ケア)が必要になるという。それは、自分が関わる場所への責任を果たすことでもあると。



オデル自身のアーティストとしての作品も、こうした「観察」というプロセスが大きな要素となっているものが多く、一見すると「何もつくっていないじゃないか」と思われるようなものもあります。実際、展覧会で彼女の作品を見た人が、本人にそのように言ったそうで「その通りです」と答えた、というエピソードも書かれています。

さまざまな人の著作や文献、作品などを引用しつつ、自身の体験・実践をふまえて書かれたこの本自体が、複雑にたがいに混じり合い、関係しあう“生態系”のような一冊で、何度もページを行きつ戻りつ、読み返したくなります。

本の内容からは話がそれますが、日本語版の装丁デザインが白地にタイトルのみのシンプルな見た目に対して、オリジナル版は、植物が生い茂ったような、自然の生命力を紙面いっぱいに詰め込んだデザインと対照的。

本の冒頭でオデルが日々、時間を過ごすという近所の公園「ローズガーデン」についての話がこの本の大切なインスピレーションとなっていることから、植物が描かれたカバーデザインになっているのだと思いますが、日本語版ではそうしたものをすっかり削ぎ落としているのが印象的です。

タイトルが短い言葉になっているのと合わせ、日本のお家芸的なものを感じます。