マイケル・ポーラン『人間は料理をする』

2015年の初読書は、マイケル・ポーラン著の『人間は料理をする』でした。といっても、まだ下巻の途中で、ゆっくりと楽しんでいる最中です。

ポーランはアメリカきっての食の評論家で、これまでに数々の著作があります。私のポーランとの出会いはオランダ留学時代。インターン先のChristien Meindertsmaがポーランの『The Omnivore’s Dilemma』を貸してくれたのがきっかけでした。日本語訳では「雑食動物のジレンマ」。雑食動物ーすなわち私たち人間の、食行動に関わるあらゆる矛盾が書かれた本でした。

今回で彼の著作を読むのは2度目。『The Omnivore’s Dilemma』が、とても難しいテーマであるにもかかわらず、テンポのある文章で読みやすかったので、他の本も読みたいと以前から思っていましたが、なかなか実現せず、はや数年。やっと念願かない、この本を手にしました。

この本では、ポーランが「料理」と呼ばれる四つの主な変化=「焼く」・「煮る」・「パンを焼く」・「発酵させる」について、それぞれ料理修行を行った記録と、さまざまな研究やデータを元にした「料理」に関する彼独自の考察とが、交互に綴られています。

序章では、「なぜ料理か?」という問いに対し、下記のように書かれています。

「人類学者、リチャード・ランガムによると、料理によって栄養価が高まり、消化をしやすくなったものを食べるようになると、人類の脳は大きくなり、胃袋は小さくなったという。つまるところ、料理とは、外部のエネルギーを用いて、体に変わって咀嚼と消化を行うことなのだ。

料理を始めたことで人類は、大量の食料を集めて延々と咀嚼しつづける生活から解放され、時間とエネルギーをほかの目的に使えるようになり、その結果文化が生まれたのである。」

すなわち、料理の発見こそが、人類を人類たらしめたのだと。

そんな料理と人類の出会いを踏まえつつ、本文では現代における「料理」にも目が向けられます。かつては、誰もが(少なくとも、どの家庭でも)食べるために料理をしなければならなかったけれど、外食産業や加工食品のお陰で、料理はもはや「義務」ではなくなり、「料理をしない」という選択肢が生まれました。

これは、悲観的に見れば、人類にとって単に「危機的な状況」ともとれますが、裏を返せば、歴史上初めて、純粋に楽しみのために料理をするという選択肢が生まれたことを意味します。そして、現代における料理の最も興味深い点は、それが仕事とレジャーの境界、あるいは生産と消費の境界をあいまいにしていることだと、ポーランは指摘します。

数々の興味深い考察と、それと入れ替わりで語られるポーランの料理修行記とが、絶妙のコントラストとなっています。タマネギをじっくりと炒めたり、酵母菌を育てたりと、料理を「素材」から作る様子を読んでいるうちに、ちょっと時間をかけて料理をしてみたくなります。

彼の言う「料理を純粋に楽しむ」という行為ももちろん、「料理とは何か、食べるとは何か、について考える」行為は、まさに現代を生きる私たちの特権であり醍醐味なのではないかと思います。