『Dear Data』- パーソナルなデータの可能性

『Dear Data』は、2人の女性デザイナーによる、1年間の”文通”の記録の本。”文通”というと、私たちは、日々の出来事や思いを綴った文章を思い浮かべますが、彼女たちの文通は、一風変わっています。

著者のGiorgiaとStephanieは、それぞれデータや情報を扱うプロのインフォメーションデザイナーで、Giorgiaはニューヨークに、Stephanieはロンドンに住んでいます。数回しか顔を合わせたことのない2人が、お互いのことをより深く知るために始めたのが、このポストカードによるデータの文通。本には、実際に2人が送りあった1年分のポストカード(52週x2=104通)の両面が実物大で印刷されていて、彼女たちのやりとりを時間の経過とともに追体験することができます。

2人は、毎週あるテーマを決め、それに関する「行動」や「感情」の回数などを記録し、そのデータをビジュアルイメージとして描いて送りあいます。データの交換方法は、手描きのポストカード1枚を郵送する、というとてもアナログな方法。ポストカードのおもて面には、ビジュアル化したデータを、うら面には通常の宛先に加えて、そのビジュアルの説明(データの取り方、並び順の意味、凡例、などなど)を書き込むというルールです。

週ごとのテーマは日常のささいな行動(時間を確認した回数、買ったもの)から、心の中で感じたこと(欲望・欲求)など実にさまざまです。じっくりと読み解いていくことで、2人の日常の暮らしぶりやパートナーや友人との関係、仕事の様子、性格や癖にいたるまで、さまざまなパーソナリティを知ることができます。

ビジュアルには、単純な「頻度」や「回数」などの情報だけでなく、行動や感情の背後にある「コンテクスト」に関する情報も含まれているのが、このポストカードたちの最もおもしろい部分です。例えば、時間を確認した回数についての週であれば、「なぜ時間を確認したのか」という理由や、「時計を見て感じたこと」などがカテゴリーごとに記号で分類されていて、彼女たちの心の変化が読み取れます。

1年間、ポストカードを送りあったあと、2人はお互いについてより深く知り、親密で深く結ばれた関係になっていったそうです。

その人の人となりを知るには、会って時間を共に過ごしたり、話をしたり、メールやメッセージを送りあったり、写真を見たり、、、さまざまな手段があります。2人の奇妙な”文通”は、そのどれでもなく、「データ」という一見無機質で均質化された媒体を極限まで人間的で個人的なものにすることで、お互いを知る試みだったと言えます。

「どんな大きなデータも、現実の生活を表す道具でしかない」とGiorgiaは言います。彼女の言うとおり、データの裏側には常に、1つ1つ個別で多様な現実があり、そのどれもがパーソナルなものです。

「データは個別の現実を表すツールである」という彼女たちの主張に加えて、ポストカードを彩る手描きのグラフィックも、見ていて不思議な美しさを感じます。ペンや色鉛筆、マーカーを使って、ある一定の規則に基づいて描かれたさまざまな図形は、手描きの「自由さ」と規則性から発せられる「リズム」が共存して、あるものは植物のように、またあるものは細胞や微生物のようにも見えます。「データ」という意味を持ちながらも、形そのものは抽象的で、そのことがかえって、読み解く楽しさを増しているような気もします。文字が発明される前の古代文明の、暗号めいた絵のような雰囲気もあります。

本の冒頭には、アメリカのブロガーで書評家のMaria Popovaによる序文が掲載されています。

「ウィリアム・ジェームス(19世紀のアメリカ人哲学者・心理学者)は、『私自身がそれに心をかたむけようと応じたものが、私の経験となる。』と書いているが、それは部分的な真実である。私たちの経験は、私たちが心をかたむけることに応じたものと同じくらい、私たちが拒絶したものによっても形づくられている(もちろん、それは私たちが意識できる事柄に限ってだが)。」

私たちの日常世界は、意識的にせよ、無意識にせよ、複雑で矛盾に満ちた、不均質な無数のものごとによって形作られているのです。『Dear Data』におけるパーソナルなデータのアナログ形式での伝達は、膨大で統計的なデータを見慣れた私たちに、そんな真実を思い起こさせてくれると同時に、データの新しい可能性も感じさせてくれます。